石膏デッサンって必要?

美術部へ

そもそも、石膏デッサンとは、イーゼル立てて、木炭や鉛筆で白い石像を見て腕を伸ばしたりする、いかにも美術部っぽいアレのこと。

そもそも石膏デッサンってなんでやってるんだろう?本当に必要?

その答えを改めて考えてみたいと思う

基礎的な力を鍛えられるので必要な人は必要。

白い立体物を描くことで基礎的な「見る力」や「描く力」が鍛えられる。

美術系の高校や大学に進学したい場合は入試時に課せられることが多いので、美術系の学校への進学希望者は避けて通れない。

制作は趣味という人やイラストが描ければいいという人には必須ではない。

とはいえ、基礎的な力が鍛えらえるので、やって得られることも多い。

ただ、正直、すごく楽しいものでもないので、楽しさ重視ならあえてやる必要もない。

基礎的な力とは

絵を描く時、人は見て、描いている。

基礎的な力とは、見る力(インプット)と表現力(アウトプット)だ。

例えば手を描くとする。手の形、大きさ、色、質感、ポーズなど、描くのに必要な材料を見て集めて描いていく。

まず、この時点で手をきちんと描けない場合がある。もみじみたいに線対称で、どっちが親指でどっちが小指か分からない。または爪が指先すべてを覆っていたりする。これは手を意識して見ていないのである。手はこういうものというイメージだけで描いている。見る力が足りていないパターンだ。

また、しっかりと見ているが、それを描くことができない場合もある。描き始めた親指と反対から描いた小指が繋がらない、線を消しすぎて紙がボロボロになる。見ているのに描けない。表現力が足りないパターンだ。

表現力に関しては、美術が好きなみんなならば、いくつも作品を描いていて、ある程度のレベルは獲得していることだろう。しかし、見る力に関しては個人差が大きい。

これは普段から意識してモノを見ているか、表現する材料としてモノに関心を持っているか、ということになる。

見る力を鍛えるとは

石膏デッサンではこの両方の力が鍛えられるが、個人差の大きい「見る力」が特に鍛えられる。

とはいえ、「見る力」は意識の問題だから、意識さえしてしまえば、誰でもある程度「見る」ことができるようになる。

対象を大まかな塊として捉える、光と影、輪郭、奥行き、反射光、など見るポイントはいくらでもある。意識して見ると普段いかに「見ているけれど見ていなかったか」に気がつくことだろう。

表現力を鍛えるとは

そして当然「表現力」も鍛えられる。

白い紙に白い像を描くことの難しさ、3次元の立体物を2次元の平面に収めることの難しさ。

描く位置取り、画面構成、紙のどこからどこまでに収めるか、質感をどう表現するか。考えなければいけないことは多い。

そして、普段の自由な絵と違い、目の前に石膏像という正解があるので、狂い・歪みが客観的に判断できる。

また、普段イラストや漫画や写真の模写ばかりをしている人は、奥行きがなかったり、のっぺりした作品になってしまうことがある。これは立体物を描く経験の乏しさからきている。

石膏デッサンでは石膏像という立体物を描くので、奥行きや明暗、立体的な表現力を鍛えられる。

石膏デッサンで鍛えた表現力は普段の作品にも活きてくる。

石膏デッサンって重要じゃないか

ここまで読むと「やっぱり石膏デッサンって重要じゃないか」と思うことだろう。

そりゃあ各美術系学校が入試に課すだけあって、重要ではある。

しかし、石膏デッサンが上手くなったからといって、「いい絵」が描けるわけではない。

写真みたいに写実的に描いてあって、上手いと思う絵が必ず「いい絵」ではないだろう。

逆に、少し粗くて、なに描いてるかわからない絵が、胸を打つ「いい絵」だったりすることもある。

石膏デッサンはスポーツで言うところの「筋トレ」のようなもので、筋肉があれば、必ずしもいいアスリートになれるわけではない、しかしいいアスリートになるためには少なからず筋肉が必要で、そのための「筋トレ」ということに似ているものがある。

基礎的力を鍛える術として、石膏デッサンは重要だが、石膏デッサンを極めても必ずしも「いい絵」が描けるとは限らない。しかし「いい絵」を描くために石膏デッサンで鍛えた力が必要な場面はとても多い。

例えば、空飛ぶワニというファンタジーを描きたいけれど、ワニにリアリティが欲しいという場合、石膏デッサンの力がそのリアリティを補ってくれる。

「こんなワニがいるかもしれない」と思い込ませるだけの説得力が生まれる。

「描きたいけど描けなかった世界」が描けるようになるかもしれない。

でも石膏デッサンってキツイんですよ

ただし、冒頭に述べたように石膏デッサンは決して楽しいものではない。

背筋を伸ばして、頭を動かさず、目だけを動かし、腕から先を固定して指を擦って描いて、何時間も石膏像と向き合う。

慣れないうちは肩や腰、眼球が悲鳴を上げる。指も真っ黒。まさに「筋トレ」だ。

美術に楽しさだけを求めるのならば、お勧めしない苦行だ。

描いては落ち込んで、また描いては、描けない自分にイライラする。

それを何枚も何十枚も描き続ける。

そしてある時、見たい場所にズームする感覚、光と陰の流れをつかむ感覚、指が入っていきそうな奥行きを感じることができるようになると、それまでとは違った世界が広がっているはずだ。

結論:石膏デッサンは必要な人には必要

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